徒然

雨が降っていて、とても暗くて寒い、陰気な天気が続いています。
日記を読み返したら、毎年5月はこんな感じだわね。仕方が無い。


♪♪♪


詠美が帰ってくるなり興奮して
「私、エクステンションクラスの数学のクラスに入ることになった!」と報告。


エクステンションクラスというのは中学入学前に試験をうけて、成績の良かった子を集めた「特別クラス」のこと。
詠美はそれに落ちて、今まで普通のクラスにいた。
5人ほど普通のクラスの子がエクステンションクラスに加わることになったそうだ。


私はすぐ水をさす。「みんなずいぶん進んでいるから追いつくの大変だよー」とか。
ただ「良かったね、がんばって」とだけ言えばいいものを・・・。



思えば(ここから私の思いは詠美誕生の頃までさかのぼる)、香港で詠美を産んだ時(2才にも満たない頃)、


「この子は成績が良いとか悪いとかだけの価値観にはまりやすい子だから、香港で育つのは良くない。」と母の直感で感じたことがあった。


あの場所の教育制度には良い面と悪い面があるが、私はどちらかというと肌に合わなかった。
学歴重視にもほどがあるっていうか・・・。


自分で靴も履けない3歳児が100まで数えることや漢字を覚えたら親から褒められている場面とか、よく目にしたりして、自分にはとても理解できない、と思ったし、、、、


友達のだんなは手が器用で大工仕事など素晴らしかったのに、いつも「自分は学歴がないから」と自分を卑下していたのも、とてもヘンだな、と思ったもんだ。


わが娘にはどんな人生でも自信があって、他人の人生も尊重できる、そんな子に育ってほしいと強く思ったのです。



幸い、2才で日本に帰り、幼児期は保育所で夕方まで砂いじりをしながら育ち、小学校6年間はほぼ「野放し」状態のオーストラリアで過ごすことができて、彼女の「人より秀でると嬉しい」という欲望を満たす機会はほとんどなかった。
オーストラリアの小学校は相対評価をなるべくしないようにしてるところがあって、絶対評価が主なので、色々な人がいて、色々な面で人は評価し合えるんだ、という経験をつんだと思う。


それは、本当に良かったと思う。


中学になって、勉強がシステマティックになり、覚えればいい点数を取れる状況になって、初めて彼女は「けっこうやればできたんだ、私」という彼女の「やる気」というか地が発揮され始めたように見える。
エクステンションクラスに入れたことをこんなに興奮して受け取る彼女を見ていると、つくづく「母(私)の直感は当たっていた」と思うのです。



しかし、オーストラリアの勉強のできる子は「努力しなくてもどうしても勉強ができてしまいます」、というタチのホンモノの頭の良い子が多いので、努力型の彼女はこれからどうなるのか・・・・撃沈するか、花咲くか、見所といえましょう。


*****


エブン語録
詠美を学校の前で下ろしてから車の中で
「Amy's gone.エイミーズ ゴーン。 いない!」



☆☆☆

はんなの宿題を手伝っていたポールは怒りながら、
「学校で文法は習わないのか!!!」


私「グラマーは教科としては存在しないらしいよ」


ポール「信じられない!文法は非常に大事なのにそれはけしからん!!!」

続いて

ポール「ほら、私立の学校とかの名前になんとかグラマースクールってあるだろ。それほどグラマーは大事なんだよ」


えーーそれは本当なんでしょうか!?怪しい理論だな。