エリトリアの夕べ

今日は、目からウロコな新しいアフリカ理解のゆうべでした。


教会に三名、エリトリア出身の若者たちが来はじめたが、私たちは「エリトリアってどこ?」ってなぐらいで、全然知識がなかった。(エチオピアとスーダンの間に位置している)
興味もあって、夕食に招待してみました。


実は、難民として来た割に、(比べちゃいけないけれど)スーダン難民とは全然雰囲気が違う。
とてもスマートな格好をして、英語もけっこう上手い。知的な感じがするのだ。
それに典型的なエチオピア的な面長で美しい顔。


色々聞いていたら、エリトリアって軍事国家で社会主義っぽい。「アフリカの北朝鮮」とも言われているとか。(そんなの全然知らなかった)


3名のうち、一人はクリスチャンだというだけで牢獄に入れられちゃったこともある。
特に若者に対して厳しいんだそうです。なにせ政府はエチオピアに攻めてこられたらどうしよう、と常にビビッているので、若者を軍隊に入れたがっている。高校生は一年強制的に隔離されたところで、勉強したり、軍事訓練を体験させられるのだそうです。(うわー・・・)


政府に反対したら、そういう人はいつの間にかいなくなっちゃう、、、、、(つまり消されるってことね、まさに北朝鮮っぽい)




「ところでどーやって出国したの?」と聞いたら、
一人は「政府関係の仕事をしていて、出張で行ったケニアで亡命した」
もう二人は「歩いてボーダーまで行った」「スマグラーにお金を払って出国した」だそうです。


すごい。



ケニアで数年過ごしたあと、オーストラリアに難民として移民してきたそうです。



ケニアもエリトリアとはとても違う国だったそうで、
「ケニアって貧乏な国だよ。国のほとんどが貧乏していて、政治は腐ってる。コラプションだらけ。」


これにも、びっくり。だって、ケニアってアフリカでも珍しい安定した国、というイメージだったから。


それに、「チキンの食べ方が違う。ケニアでは丸々ローストしてたけれど(イギリスの影響)、我々の国では鶏は12部分に切って食べる」
12部分に分けるってのも面白いけど。


エリトリアはイタリアの植民地だったこともあって、今でもパスタをたくさん食べるのだそうです。(予想外)


そのうち、会話はアフリカ全土に及んでいきましたが、彼らの見解は私たちとは違ってとても新鮮。


キリスト教の話になったら、急に硬くなったので、びっくりした。
アフリカのクリスチャンのイメージって「歌って踊って、ハイになる」程度のイメージ。
でも、彼らはアメリカ人保守派もびっくりの硬さでした。



今までのイメージが随分覆された晩でした。
皆さんも、全然エリトリアのことなんて知らなかったでしょーー。ウィキペディで調べたけれど、具体的なことはあまり載っていませんし。




ちなみにその中の一人は「自分は芸術家」と言って、壁にかかっていた七宝の額にいたく興味を示していました。色々質問されたが、適当に答えてしまった。