英語学習〜ゴク一般人にとって〜

私の父や叔父やいとこの中には、一般人とはいえない、英語のとても出来てしまう人たちがいるのですが、そのような特別階級の方々のことはさておいて、、、



普通の日本人が英語を上手に話すためにはどうしたらよいんでしょうか、、、



ということを最近よく考える。
きっかけはもちろん、富山から中学生がきたことを目撃したことだったり、これから友達の息子さんもオーストラリアへ来て英語を勉強する予定だったりするからだが、、、、1番は、知人に数カ国のホームステーたちを受け入れをしてい方がいるが、その人が”日本人には独特の感想”を持ったことですね。



(きっとすでにこのことは多く語られてきた話題ではあるのでしょうが、私は今まであまり興味がありませんでした。)




先週までいた、コズエちゃんは日本人の枠からちょっとはずれて(いい意味で)とても積極的な子。
英語はパーフェクト、、、、とは言いがたい(失礼!いや、ネイティブと比べるとってことだから、、、)なのですが、コミュニケーション力は抜群!!
動詞の活用なんて間違っていてもきにしない!


オーストラリア人からの印象として、コズエは英語ができる!と映りました。


けれど、大抵の日本人の来たばかりの子たちはオーストラリア人にとってコミュニケーションがとりずらい人たちらしい。


「英語がぜんぜんだめ!」


と映るらしい。


ところが、同じ「英語がまだまだ」なのに、ベトナム人とか中国人、韓国人だと、そんな感想はもたれないみたいなんだな。
「文化国家なのに、英語がはなせない国民の第一位」は日本だよね、絶対。



一つのそして、多分大体の問題の中心は、


「恥ずかしがり家!」が国民性の日本人だからじゃないかしら?
たとえ、内輪では元気な子でも、まったくの他人や外人に積極的に、物怖じせずお話ができる人ってあまりいないよね?



私もいやだもん、たいして英語が出来ないのに、話したりするの。(9年いてもだよ、まったく)



とはいえ、20年近く前に香港でシンガポール人に「協子は話さないからずるい!」と叱られてから、出来ないから喋らない、は許されないんだなーと実感。
出来なくても、とにかく喋れ! ということらしいよ。


オーストラリアへ来たら、喋らないとだめな機会が多くて、「やだやだ」とおもいつつ、恥を忍んでしゃべってきました。
語彙はほとんど増えていないと思うのですが、きっと「英語はまあまあちゃんとしゃべっている人」、ってことに今はなっているんでしょうねえ。(そんなことはないのに、、、しつこいようですが)



英語を話したい日本人は「恥をすてる」これが第一条件になっているのではないか、というのが私の結論です。
勉強だけじゃなくて、性格まで変えなければいけないなんて、、、、なんて大変なんでしょ。


(あくまでも一般人ね。英語が出来ちゃう頭の良い方は恥ずかしくないちゃんとした文章を作れるので、恥を捨てるなどということをしなくても喋ることができちゃいます)



そのお陰で?か海外在住日本人の多くは日本に帰ったら「変人?」となる人が多くないでしょうか?
日本人を日本人たらしめている恥を捨ててしまったのですから、、、、。



今度、日本から、オーストラリアへ英語を習いに来る方、「恥」をすてることを覚悟でいらしてくださいね!


あ、私はもう、普通の日本人ではありませんから。
知ってた?