母、礼子は縁結びの女神であった。
結婚だけに限らず、さまざまな人の出会いのきっかけをつくることが大得意でした。
私は若い頃から、後ろを振り返る余裕のない人生を歩んでいました。「いま」に一生懸命というとかっこいいが、「いま」の人生にいつも力及ばないことがあって、必死だったわけです。
新しい学校、交友関係、仕事、結婚、子育て、移住、、、いつだって、必死にならないとついていけないことがたくさんあった。
実家に戻ると、よく母から「小学校でいっしょだった、○○さん、おぼえてる?あの子のお母さんに会ったわ」などといわれるのですが、さっぱり○○さんのことを覚えていないこと多かった。
母には「本当に、薄情ね、全然覚えてないんだから!」とあきれられてばかりでした。
同窓会に出るにも興味もなければ、日時もたいてい無理なことが多かったので、出席したことがありませんでした。
ところが、8月に中学卒業30周年の同窓会がありました。もちろん出ませんでしたが、そのときに出会った、同級生たちが「金管クラブ」の同窓会を考えてくれました。
私は小学校3年間(?たぶん)金管クラブに入っており、アルトホルン担当でした。
毎日、朝夕練習があり、部活さながらに活動が活発でした。
(にも、かかわらず、私の中の記憶は相当薄らいでおります。)
「新山さんが9月に帰ってくるそうだから、それあわせます。」
との提案だったので、私も30年(以上)目にして、初めて同窓会に出ることになりました。
帰国前に、母に「同窓会があるけれど、出てもいいかな?お母さんのお見舞いに帰国するんだけれど。」と聞いたところ、
母「ぜひ、出席して!」とのこと。
きっと、やっと私が地元の友達と連絡を再開することが、嬉しかったんだと思います。
母の様態が思わしくなく、予定より2週間早く帰国した私。
これは、同窓会どころの話じゃないな、、、と思っておりました。
同窓会の予定は23日東京の銀座にて。
母は21日に逝きました。
23日は納棺、火葬の日。
普通なら、もちろん行きませんよね。
ところが、私は火葬場が大嫌いなので、家族に「火葬場にはいきたくない」と申し出たところ、
かるーく、父と兄「出なくてかまわないよ。ただ焼くだけだから」とのこと。
「どうせなら、同窓会いっちゃえば?」
どうせなら、、、、いいんだろうか、、、
でも、暗く、家で火葬場にいかないうしろめたい気分をかみしめているよりは、東京まで行ってしまったほうが、気がまぎれるかも。
ということで、同窓会に出席しました!!!
不眠続きということもあり、銀座で迷子になるという、土地勘には自信のある私にしては、珍しい失態を演じたりもしましたが、
結果、とても楽しいひと時となったのです!!
えーー同窓会ってこんなに盛り上がるの!初めて知った。
プチ同窓会だったので、13名だけでしたが、最初から最期まで笑いの絶えない、面白い会話が続きました。
鈴木君は昔、凄く秀才でした。いまは吉祥寺に建築事務所をもって、建築家としてがんばっておられるようですが、彼が私のとなりにきて、
「新山さん、よくけんかしたよね」
「あの頃、新山さんは正義感強くて、男っぽいって言うか、お母さん的に戒める感じじゃなくて、攻めて来る感じだったよね。いま思えば、正しいことを言っていたんだけど、男としてプライドがあったからね」
そういえば、よく喧嘩しました。。。廊下でキックしあったことも思い出しました。
私は「ごめんなさい!生意気で!」とあやまるばかりです。
でも、さすがに40代後半になると、そういうエピソードも笑えるようになるのね。そこが、楽しいんだね。
結構楽しかったので、来年はもう少し規模を大きくして、また集まりましょう、ということになりました。
お盆がいいという皆様に「ごめん、気候がかわりすぎて、8月に帰国すると、私具合悪くなるから。」
またしても、私のわがままで9月か10月予定に。みなさま、ごめんなさい。
茨城に帰ってきても、母には会えなくなりましたが、同級生と会える、というひとつの楽しみができたのは、さすが、「縁結び」の女神のお恵みか、と感謝するところです。
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