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手術、そしてその後

記憶というのはどんどん風化するので、書留めておこうと思います。長文になります。
今回、手術という災難の中にも、色々と良い事もありました。


コトの始まりは数ヶ月前、少なくとも去年の7月には膝が時々痛むようになりました。
でも、激痛ではないし、少しすると良くもなったのであまり気にしませんでした。
実習も終わり、時間ができたので、12月初め頃、理学療法士さんのところへ行って、見てもらいました。
見てもらったら、右の股の内側の筋肉が相当弱っていました。そこで、筋力をつけるエクササイズを教えてもらい、やってみましたが、一向に良くなりません。
理学療法士の方がX線をを撮るように手配してくれました。



ここからがドラマの始まり。



X線を撮った直後に理学療法士さんから電話でうわずった声で「骨の異常がみられるので、すぐに掛り付けの医者にみてもらうように」とのこと。
早速数日後に予約を取り、掛り付けの医者のところへ。


先生「大腿骨に腫瘍が見られます。これはもしかしたら、どこか他の場所からのガンの転移かもしれないし、急いで調べないといけません」とのことで、早速MRIを撮る事に。
レントゲン技師の方も妙に真剣に、色々とやってくれます。


MRIの結果、「専門医に見てもらう必要が」ということに。


アーミデールには専門医がいないので、シドニーの大病院の受け入れ先を探してくれました。
幸い、次の日に緊急入院を受け入れてくれた病院がありました。


飛行機の予約をし、1月3日、私は一人でシドニーへ飛びました。
その時の心境は
「こんなキレイな街に、もしかしたらしばらく、または状況によってはもう帰ってこられないかもしれない」
「帰ってこられたら、どんだけ嬉しいか!!」
飛行機恐怖症なんか消失し、美しいアーミデールの景色を眺めながらの飛行でした。


シドニーへ着くと、義姉が待っていてくれて、車で ロイヤル プリンス アルフレッド病院へ。(以後RPA)
救急受付から入院手続きをしました。
連れてこられたのは4人部屋。私以外は60過ぎのおばさま達。
転んで腰や肩の骨を怪我したケースばかり。
転ぶって怖い。。。。でも、オバさんたち主義主張が強くって、、、、面白かった。


しばらく待っていると、若い先生が来ました。彼は私のケースのコーディネーター。
とおおおおっても親切で優しい、誠実な感じの先生♡
この先生とお話しただけで、どれだけストレスが軽減された事か。
先生が行ってしまわれると、看護師が来て、
「良い先生でしょ〜。整形外科の先生ってたいていいい人が多いのよ。私、脳外科病棟にいたからわかるけど、脳外科の先生はこんなんじゃないから」とのこと。


夕方、テニスの後みたいな格好のさわやかな方がやってきました(赤いポロシャツに短パン)。
それが、私の専門医、ドクターボイルでした。

開口一番、
「生検するまで保証はできないけれど、多分、大丈夫ですよ。資料を見た感じだと、骨巨細胞種です。(英語ではジャイアントセルという)良性です。」
「この場合、生検の後、すぐに手術にうつって、取り除いてしまいます。」
「万が一、良性かどうかはっきりしない場合、一旦閉じて別の治療法を考えます」
(ちなみに、多くの骨巨細胞腫患者は骨が骨折するまで気がつかないそうで、私は危機一髪、骨折は免れている状況でした。)


とのこと。専門医の素晴らしさを知りました。この自信。この診断の良さ。
私はすぐにこの先生を尊敬しちゃいましたよ。



私、以前は切るなんて、怖い!と思っていたけれど、この状況の中では切ることが1番良い。

「先生、お願いします。切ってください!!」とすがるような思いで先生に言いました。


その後、一つの提案が。

先生「プライベートの保険に入っていたら、ノースショアプライベート病院へ移りませんか?そこだと、月曜日に手術できますから」
とのこと。


それは願ってもいないこと。
ノースショアプライベート病院は義姉の家の直ぐ近く。
しかも、ポールや子供達が来週来たら泊る予定のホテルの、、、、目の前
神様の采配に感謝、感謝で、即「合意」。
その日の夜、救急車(生まれて初めて)に乗って、運転手のおじさんたちと楽しく会話しながら、RPAからノースショアプライベートに移動。


着いてびっくり、
個室だし、ホテルみたいに、きれい。
他の人の音を気にしなくてもいいし、自分ものんびり過ごせます。






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さて、月曜日、1月5日。
手術の準備は簡単。X線と心臓のモニターのみ。アーミデールでは散々検査が必要と言われていたが、それも全部無し。
10時頃に人がワラワラきて、私を手術室へ運んでくれました。
麻酔医の方に「あなたは手術が長引く可能性があるので、脊椎麻酔をしますが、いいですか?」と聞かれました。
脊椎麻酔なんて、怖い〜〜といつもなら恐怖におののくところですが、手術ができるなら嬉しいので、
「是非、やってください〜」とお頼み申しました。
痛いだろうとの予想に反し、まったくいたくありません。
この時、不意に「自分ながら、こうして麻酔医とか他の医療関係者と英語で会話してる自分って、随分この国に慣れた証拠だな」と変に自分に感心したことを覚えています。


その後、シアターに入ったところで意識が飛びました。


次に目が覚めたのは看護婦さんの乱暴な声で「目を覚まして!!」と揺さぶられた時です。
起きた私は気持ち悪くていきなり吐きました。
時計は2時半ぐらい。目がぐるぐるしてよく見えなかったけれど、
「あ、随分たってるから手術までいったのかなあ。。。」と嬉しく思いました。


それからは麻酔とモルヒネでモウロウ。


それでも先生が見に来てくれて、手術で全て取り去った事が聞かされて、ほっとしました。



家族も見に来てくれました。ぐったりしている私をみて、恵文はちょっとびびっていましたけど。
毎日、詠美かはんな、ポールが付き添ってくれて、トイレへ行く時やちょっとしたリハビリなどを助けてくれました。


それにしても、入院中の日々は痛み止めや抗生剤、その他たくさんの薬や注射のために体は調子悪かったですね、、、。
夜中に悪夢と汗で何度も起きたり。
薬の副作用って怖いです。こういう場合しょうがないのですが。


でも、タイ人のかわいい看護婦さんにとっても良くしてもらったり、理学療法士さんが日本人だったり、良い事もいっぱい。


1月11日に退院し、12日に義姉と飛行機でアーミデールへ帰ってきました。
シドニーの空港ですでに何人もの知り合いに会い(夏休みなので移動する人が多い)私の手術したことがすっかり知られてしまいました。
帰るとお友達たちが夕食を作ってくれたり、お花やお菓子の差し入れを持ってきてくれました。とってお嬉しかった〜。

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子供達は楽しみにしていた、1月12日のサッカーアジアンカップの日本対パレスチナ戦を観戦することもできました。
色々大変な思いもさせてしまいましたが、結局、子供達はシドニーやサッカー観戦などで良い夏休みとなりました。


ところで、姉には逐一報告してたのですが、勝田の両親には報告しませんでした。
なぜなら、1月の半ばにアーミデールに来る予定になっていたからです。
言ったら変に心配してしまうし、せっかくの旅行をキャンセルするかもしれませんからね。

結局、私が帰ってきた2日後に両親はアーミデールにやってきました。



驚いたかもしれませんが、元気そうな娘本人を見ているので、遠く離れたところで、聞かされるよりはましだったのでは??
それにしても、素晴らしいタイミングで来てくれました!
私が何もできなかったので、父が運転、母が夕食作り、買い物は3人でなんとかスーパーに、という日々を過ごしました。
私ひとりだったら、どんだけ大変だったか。
松葉杖は6週間は使わなくてはいけませんでした。


二人とも、調子を大きく崩すこともなく、4週間過ごしてくれました。
その間に私も大分回復しました。
やっと松葉杖なしでも歩けるように。
両親をシドニーへ送りがてら、術後のチェックアップにも行ってきました。(これもいいタイミングでした!)


ドクターボイルの個人クリニックはRPAの隣にできた新しい総合メディカルセンターみたいな建物の中にあります。
初めてでよくわからず、まごまごしていると、女性が近づいてきて「お連れします」とエスコートしてくれました。
実はその日、その時間、ちょうど、この建物の正式なオープニングセレモニーの最中。
首相のトニーアボット氏、元首相のケビンラット氏などが来賓として来ていました。
待合室のガラス張りのところから下を覗くと、式典の真っ最中。スピーチ聞いてしまった。

その後、外の道を歩いていたら、追い越す男性が。よく見たら、ケビンラット氏でした〜。


チェックアップは軽く終わり、、、(すごく遠くから来たんですが。。。。)
6ヶ月で多分、足も元に大分近い状態に戻るでしょう、とのこと。体重をかけてももう大丈夫、とのことでした。
でも、やっぱりドクターボイルはすごいんだと思う。若くない研修医(といっても他の分野では経験ありそう)の先生に指導をしていましたが、非常に的確でした。
この先生に手術をしてもらえてやっぱり良かったと思います。



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さて、早いのですが、今週から数時間だけ仕事に復帰。
実際、過酷な労働は無理ですが、子供を軽く見るアシスタントは出来ます。ちょうど、そういう仕事が入りました。
完全復帰まで、ゆっくりとリハビリしていきたいと思います。


年齢も、年齢。
健康を第一に、暮らして行く事を誓った、一連の出来事でした。