101100歳の祖母が人生を生き抜きました。
悲しいというよりは、いいお手本を最後まで見せてくれました、という感慨の方が強いかもしれません。
人生の後半にはいってから、お茶の先生をし始めて、ピシッと和服を着ているのを見ると素敵でした。
茶道も書道も絵も裁縫も上手な、典型的なかっこいい明治の女性。
☆☆☆
私の小さいときの祖母の思い出、、、(忘れる前に記しておこう)
実家の母が忙しい時に時々手伝いに来てくれると、
家がきれいになる。
アイロンされた衣服が今までみたことがないように、ぴっしっとする。
学校から帰ってくると、
祖母「予習、復習しましょうね。邦子は学校帰りにお花を摘んできて、机に飾って、必ず、予習、復習していたものですよ。」
もちろん、祖母の言うことなど聞かない孫ですが、説教だけは覚えています。
そして、私の母については、
祖母「礼子は本当に言うことをきかないんだから、、、、」
といつもため息。でも、そんな娘をほほ笑ましく思っているのはわかりました。
祖母と母は相性は良かったようですが、ものすごく違うタイプの女性だと思います。というか、時代の違いからかもしれません。
結婚以来、茨城と東京に分かれて暮らしてきたのに、50年近くたってから、また、最後には祖母と近くに暮らせて、母や叔母も思い残すことなくお別れをすることができたと思います。
(時々、母のほうがいつもラッキーな人生を送っていると思う。)
綾子おばあさん、長生き、ありがとう。
邦子さんと再会できているといいですね。
☆☆
詠美が帰ってきて、この話をしたら、大泣き大騒ぎになると予想されます。
来年、会うつもりですから。
私も一緒に大騒ぎにならないように、、、、