あまりにもかわいい、アシュとエヴン。うしろにサウジのおじさん飛び入り。
クリケット坊やと祭り男。
幼稚園のテーマもマルチカルチャーだったが、オージーたちは「国技」といえば男の子は「フッティー」(フットボール)または「クリケット」。先生もフットボールのボールを持っていた。
幼稚園の山車。トラックの荷台に机と椅子を並べて、子供たちはその上でおやつをもらって、遊びながらパレード。
各国の旗を振る。
恵文の感想「楽しかった、トラック」
途中で土砂降り。濡れちゃって、ひどい有様だった。私の浴衣も着崩れ。
友達のベトナム人女性と。
☆☆☆☆
このことを書くのはもう少しあとにしようと思ったが、すこしだけ触れておきます。
今回の地震発生後、強く感じたのは、
「メディアと人々の反応」
についてです。
多くの情報が瞬時にして世界中に伝わったのは、メディア、コミュニケーションの力、と思いました。
私も手に取るように、日本の状態が伝わってきました。
しかし、逆に、被災地から遠い、外国にいる人々があまりにも情報やビジュアルイメージに触れすぎて、必要以上に心理的ショックを受けてしまったように感じました。
たとえば、私が当日目にした映像の最初のものは仙台空港が水に浸る場面でした。それだけ見たら、名取市にいる姉はかなりひどい状態にいるのではないか、と想像してしまったわけです。
それからの数日は胃や胸が痛いような状態に。
海外の人々の中には、日本に観光には行かないようにしよう、とか日本の食べ物は放射線汚染されるから買わない、とか言い出しています。
日本は海外報道のせいでとばっちりを食った、みたいになってしまいます。再建どころではなくなります。
また、国内にいても私の友達は戸惑いを隠せないようでした。
静岡にいる友達は「なんだか、暖かいご飯を食べるだけで、悪いことしているみたいに感じてしまう」「教会の人たちは原発の話をしては泣いたり、心配したりしている」「あさってから海外旅行を予定しているが、なんだか非国民みたいな気分だ」
などと。
(私はその友達にそんなに気にせず、大いに経済効果をあげるために、楽しんでおいでよ!と励ましたのでした。)
情報が迅速で正しいのは大切。でも、本当に情報が必要なところには時間差で届き、情報があってもどうにもならない海外の一般市民などに大量の情報が伝わった、というなんともちぐはぐな状況はあったように思います。
これからの、災害時の情報処理の課題、研究余地ができたのではないでしょうか?
もちろん、被災地にいる、多くの人々の話の中にはすばらしいものがたくさんありますから、これからも私はそういった情報には耳を傾けたいと思っています。
また、フェースブックなどを通して、今まで音信不通だった知人友人たちとコンタクトを取れるようになったのは、良かったです。
下記は友達Kumikoのフェースブックからの紹介です。
こんな記事もどうでしょう。
http://www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17Murakami.html?_r=1