父の日

コーナーショップ

写真は小学校の近くの小さなショップ。時々寄ってはアイスを食べたり、コーヒー飲んだりしてます。いかにも味のあるかわいいコーナーショップです。

9月4日は父の日だった。なぜオーストラリアではこんな時期なのだろうか?

盛り上がりには欠けていたような気がするが、とにかくウチの娘たちは学校で作ってきた工作をポールにあげていた。そしてまたしても無理やり「オフィスに飾ってね」なんていわれてました。

はんなは急に英語の文章を書くのに喜びを感じるようになってきた。(今までバカにしていたのでちょっと焦る姉、詠美)日本人の私としては子供が自然に My toy is broken.なんて受身の文章を書いたりするとすごいなあ、と思ってしまう。どんなことを考えながら動詞の変化を行っているのか??? 多分「なんとなく」でしょうが。 はんなの作るセンテンスがなんともかわいい。 私がお題「ON」とか「IN」とか「SMALL」などと出してそれを使った文章を作る。
Cat is on my lap. MY bag is small but I like it. etc...

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英語のクラスで先生が「オーストラリア人は他の文化に対して寛容です。でも、オーストラリアの文化や言葉も尊重しないといけないですよ。もし自分の国に来た外国人がその国の文化や言語だけ尊重していたら、嫌な気持ちになるでしょ。どう思う?」と言った。いかにもまっとうな意見だ。しかし、指名されたアラブ人が一言「それも自由の一つでしょう。」と発言。つまり、外国にいても自分の文化を貫き通すということね。
そうだよねえ、考えて見れば、先生の意見は大部分の人の意見を反映していると思うけれど、裏を返せば、「そのままのあなたは受け入れたくない。しっかり同化する努力をしてくれ。そんなに自分の国が好きなら帰っておくれ」というメッセージでもある。実際先生はそういったコメントもした。

日本人は同化することに特になんの不便さも感じない。だから比較的穏やかに外国で暮らせるのかもしれない。うちの子供たちもお弁当にサンドイッチ、時にはミートパイを食べたりして少しずつこちら風。
だからと言って、同化できない人々を非難することを正当化はできない、と今日は思った。違いを受け入れる、という美しいこと(例えばオーストラリアのマルチカルチャー政策)は人にはほとんど実行不可能で、実際はせいぜい似たようになってきたら、受け入れるってとこじゃないかしら。ホントの意味での違いを受け入れる社会には程遠いってこと?かしら。